債権を相殺することにより、横領罪の成立が否定される
相殺(そうさい)(民法505条)とは、
二人が互いに相手方に対して同種の債権を有する場合、双方の債権を対当額だけ差し引いて消滅させること
をいいます。
たとえば、AがBに対して100万円を貸していて、BもAに対して100万円を貸している場合、AとBは互いに100万円を貸し借りしているのだから、それぞれの100万円の借金は、相殺を用いることにより、互いに打ち消し合わせて消滅させることができます。
相殺は、債権者による
一方的な意思表示
によって行うことが可能であり(民法506条1項)、適法な相殺が行われた後であれば、相殺の対象とした目的物は、他人の物ではなくなったことになります。
なので、相殺後に、既に他人のものではなくなった相殺の対象となった目的物を領得しても、横領罪は成立しません。
さらに、相殺の意思表示を行う前であっても、相殺に供する意図を有して費消した場合においては、適法な相殺を行う意図での受託した目的物の費消行為は、不法領得の意思を欠くことになり、横領罪の成立は否定されます。
参考となる判例として、次のものがあります。
この判例で、裁判官は、
- 被告人が、C社に対し、金5万3000円の反対債権を有していた以上、為替手形の割引依頼を受けC社に対し支払うべき金3万4000円の債務につき、特に相殺禁止の特約の認められない本件では、被告人がこの3万4000円を自己の用途に使用したとしても、反対債権と対当額において相殺の意思のもとに、これを自己の支配に帰せしめたものと認めるのが相当である
- 適法な相殺のなされたことは認められないとしても、被告人が公訴事実にいう前記金3万4000円を自己の用途に費消するについては、相殺の意思でこれをしたもの、すなわち、不法領得の意思のなかったものと認めるのが相当である
と判示し、委託された金銭の費消は、被告人が被害者に対して有する債権の相殺のつもりだったとし、そうであれば、被告人には不法領得の意思が認められないのであるか、横領罪は成立しないとして、無罪を言い渡しました。
大阪高裁判決(昭和53年7月13日)
タクシー会社の従業員運転手が、会社に対する賃金債権等と相殺する旨の意思表示をして、運送収入金を会社に納入しなかったことをもって、直ちに不法領得の意思の実現行為があったとは認められないとされた事例です。
裁判官は、
- 被告人は、会社に対する未払賃金及びその利息債権と相殺する旨の意思表示をして、本件運送収入金を会社に納入しなかったものであり、かつ相殺の要件事実に照し、右意思表示を不適法なものと認めることができない
- よって、被告人が相殺の意思表示をして運送収入金を会社に納入せず、これを自己の用途に費消する目的で領得したことをもって、直ちに不法領得の意思の実現行為と認めることには合理的な疑いが残るというべきである
- 被告人に対する公訴事実中業務上横領の点は、結局その証明が不十分であるに帰し無罪である
と判示し、業務上横領罪の成立を否定しました。
相殺の対象となる債権は、同種の債権である必要がある
相殺の対象となる債権は、同種の債権である必要があります。
まずは相殺の定義を再確認します。
相殺(そうさい)(民法505条)とは、
二人が互いに相手方に対して同種の債権を有する場合、双方の債権を対当額だけ差し引いて消滅させること
です。
相殺が認められるのは、相殺しようとする目的物が、同種の債権である場合です。
なので、目的物が同種の債権でない場合は、相殺は成立せず、その目的物を領得すれば、横領罪が成立することになります。
この点について、以下の判例があります。
大審院判決(昭和16年7月14日)
この判例は、人に対する支払のために金員を委託された者が、その他人に対してたまたま債権を有していたとしても、互いに同種の目的を有する債務を負担する場合には当たらず、自己の債権に当該金員を充当した場合には横領罪が成立するとしました。
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